試合開始直後に潜む悪魔
しかしながら、アジアカップの決勝トーナメント1回戦というのは、日本にとっての鬼門。過去に王者の座をつかんだ1992年の広島大会、2000年のレバノン大会、2004年の中国大会、2011年のカタール大会の4度とも相手に先制され苦戦を強いられているからだ。
1992年は準決勝の中国戦がそれに該当する。開始早々の1分に失点し、前半を0-1で折り返すことになった。後半に入って福田正博、北澤豪らの得点によって3-2で逆転勝利したものの、決して楽な戦いではなかった。
出場国数が16ヶ国に拡大した2000年は準々決勝のイラク戦が決勝トーナメントの1戦目。やはり開始4分にゴールを許し、序盤からビハインドを背負った状態での戦いを強いられている。最終的には名波浩の2発などで4-1と突き放したが、スタートダッシュに失敗したのは間違いない。
2004年の準々決勝・ヨルダン戦はアジアカップ史上最も苦労した一戦と言っても過言ではない。11分に1点を失って、3分後に鈴木隆行が同点弾を叩き出したものの、そのまま90分が終了。延長戦でも決着がつかず、PK戦へともつれ込んだ。そのPK戦で中村俊輔と三都主アレサンドロが立て続けに失敗。
崖っぷちに立たされたところでキャプテンの宮本恒靖が主審に「ピッチが荒れている」と抗議。サイドを変えさせたことでガラリと流れが変わった。そして守護神・川口能活が2本のセーブを見せるなどヨルダンを4人連続ミスへと追い込み、ミラクルな形で勝利を収めている。
2011年も準々決勝のカタール戦は同大会屈指の死闘だった。やはりこの試合も開始12分に失点。香川真司の同点弾で前半を1-1で折り返したものの、後半に入って再びリードを許した。そこで香川が2点目を奪い、最後の最後に伊野波雅彦が決勝点をゲット。辛くも3-2で逃げ切っている。