”It’s the best”
たった1年半ではあったが、デゲネクは日本で成長してヨーロッパへ移籍するチャンスを掴んだ。マリノス時代、彼は練習を終えるとすぐに着替えて車に乗って帰宅するのが定番だった。チームメイトたちと仲が悪いわけではなく、ただフットボールに対してストイックだったのだ。
自宅には様々な器具を揃え、チーム練習後には必要に応じて自主トレを欠かさず、体のケアも怠らなかった。その背景には、中澤から学んだプロサッカー選手としてのあるべき姿があったのかもしれない。
「ボンバーからの最も重要な学びは、『プロフェッショナルである』ということだね。フットボールを愛し、プロフェッショナルであり続け、体をケアし、常にスマートで、アクティブで、競技に集中するということ。ボンバーと共にプレーできたというのは僕の人生において最高のことなんだ」
そして、24歳のオーストラリア代表DFは尊敬する大先輩に、遠くUAEからメッセージを残してくれた。
「ボンバーへ。僕はあなたの健康や幸せを願っています。今はフットボールのことは何も考えず、とにかくゆっくり休んで、人生を楽しんでください」
ここでもう1つ、聞かなければいけないことがあった。「日本に行ってボンバーに会えなかった」理由、夏の移籍についてである。クロアチア生まれのセルビア人でもあるデゲネクにとって、移籍先となったレッドスター・ベオグラードは少年時代から愛していたクラブ。そこへの加入は夢の実現でもあった。
ロシアでの戦いを終えてすぐに新天地へと赴くことになってしまい、日本に戻ってマリノスに直接別れを伝えることができなかった。彼はそのことを今でも悔やんでいる。
「横浜が恋しい。ワールドカップの後にレッドスターへ移籍することになって、すぐにチャンピオンズリーグ(CL)予選が始まることもあって日本に戻る時間がなかった。でも、オフの時間を得ることができたら、また日本に帰りたいし、マリノスに関わる皆さんの新シーズンが上手くいくことを心から願っているよ」
だが、レッドスターではCLという世界最高峰の舞台に立つことができた。その経験について問うと、デゲネクはしみじみと”It’s the best”を3度繰り返す。そして「チャンピオンズリーグは最高。世界でも最高の大会だ。そこでリバプールやパリ・サンジェルマン、ナポリとも戦うこともできた。そして僕たちはリバプールを破り、ナポリとは引き分けることができた。本当に素晴らしい経験だった」と半年間の挑戦を振り返った。