キャプテン吉田からの忠告
だが、8年前にアジアの頂点に立ち、2度のワールドカップも経験して酸いも甘いも噛み分けた吉田麻也はこう言い切る。
「プレッシャーの中で戦えるようにならないと、これからのアジア予選に関しても、もちろんワールドカップも、もしくは個々の選手のキャリアとしても戦っていけなくなると思う。やっぱりこういうプレッシャーの中に身を置いていくことが、若い選手にとって成長につながる」
今や中島、南野拓実、堂安の3人で構成されるユニットは、新生日本代表のシンボルとなったが、アジアカップに限っていえば中島はおらず、“NMD”のハーモニーを奏でることはできない。ただ、それでも勝たなければいけないことに変わりはなく、アジアカップだからこそ1人ひとりの結果に対する責任はこれまでの親善試合よりもはるかに重い。
吉田は「このプレッシャーに勝てるようにならないと次のステップを踏めないぞという意味でも、あえて『期待』という言葉を多く使っている」という。なぜなら、これから欧州のハイレベルな環境でステップアップしていきたいと望む若い選手たちにとって、アジアは越えていかなければいけない最低限の壁だからだ。
2011年のアジアカップ。日本はグループリーグ初戦でヨルダンと引き分け、2戦目のシリア戦では勝利こそもぎ取ったもののGK川島永嗣がまさかの退場処分を宣告された。これだけ厳しいスタートを強いられながら勝ち上がり、準決勝の韓国戦での120分&PK戦、延長戦までもつれた決勝のオーストラリア戦にも勝ち切って頂点に立った。
当時オランダのVVVフェンロ所属だった吉田は、あわや敗戦という危機に立たされた初戦のヨルダン戦で後半アディショナルタイムにヘディングでチームを救う同点弾を叩き込んで日本を救った。準々決勝ではイエローカード2枚で退場という苦渋も味わったが、出場停止だった準決勝を除く全試合に出場してアジア王座奪還に大きく貢献した。
大会前までA代表キャップがわずか1試合だった22歳のセンターバックは、アジアカップでの経験を糧にスケールアップし、1年半後に活躍の場をプレミアリーグへと移す。サウサンプトンでは今や重鎮の1人で、リーグ内でも実力を認められる世界基準のDFへと飛躍を遂げた。
森保ジャパンで長谷部誠の後を継ぐキャプテンに指名された背番号22は、4年前に失った王座を取り戻す戦いに向けて「今まで日本代表として戦ってきた選手たちが作り上げてきた誇りや責任というのを、この若い日本代表が新たに背負って戦う場だと思う。そういう意味でもこの大会は非常に大きな大会になる」と引き締まった表情で語っていた。