チェルシー買収が「生命保険」に
アブラモヴィッチがチェルシーを買収した際、巷では次のような説明がなされることが多かった。
子供の頃から西側の社会に憧れを抱いていた人物が、ついに長年の夢を叶えた。内気で暇をもてあました資産家が、退屈しのぎにサッカークラブを買収した、あるいは個人的な名誉欲に突き動かされた、などとする意見もあった。
だがこれら解釈は、事実とまるで異なっている。そもそもアブラモヴィッチとは、好んで舞台裏に身を置こうとしてきた人物だった。彼は社交的であったことなど一度もなかったし、スポットライトを避けるための努力をしてきたからだ。
では、なぜチェルシーのオーナーに納まるなどという決断を下したのか。真相は、一連の文脈を踏まえた上で初めて理解できる。
アブラモヴィッチがオーナーになったのは、まさにプーチンが権力基盤を固め、敵性メディアを粉砕し、自分の存在を脅かすオリガルヒ(編注:ロシアの新興財閥)たちを排除していった時期に重なり合う。
だからこそアブラモヴィッチは、チェルシーを買収しなければならなかった。
クラブを買収すれば、ベレゾフスキー(編注:オリガルヒの1人。エリツィン政権時代に暗躍もプーチン政権で失脚)などが確保できなかったものを入手できる。自らの存在を世界中に知らしめ、身の回りで起きることを誰の目にも見えるようにする効果である。
たしかに彼は、クレムリンにとって有用な存在になったし、プーチンが権力基盤を固めることにも貢献した。だが西側社会の「公人」になってしまえば、仮にプーチンと距離を置くようになったとしても、身に危険が及ぶ可能性を減らすことができる。チェルシーFCというクラブは、アブラモヴィッチにとって「生命保険」のような役割を果たしたのである。