サッカーの計り知れないスケール
「クラさん(クラマー)が涙を流して、躍り上がっている。あんな姿を見るのは初めてでした。終わった後には同じポジションだった小澤さんに『よくやった』と声をかけてもらって、嬉しかったですね」
賀川は、勝利の持つ大きな意味を噛み締めながらも半分は冷静だった。
「アルゼンチンには、日本が苦手とするキック&ラッシュがなく、ボールは持てるけれどまとまりのない攻撃をしていて、やはりプロに比べれば隙があった。日本のディフェンスは、2点は取られたものの精一杯食いついた。全体的には見ていて負ける感じがしなかった」
ただし強烈な南米のサッカー熱を見て来たばかりの日本のメディアは、王国アルゼンチンにはとても歯が立たないと見ていたので、この勝利を「奇跡」 「快挙」と大々的に報じた。マイナー競技にスポットライトを引き寄せるには、十分なインパクトを残すことに成功したのだ。
さらに岡野コーチも、話題づくりにひと役買った。アルゼンチンの記者との雑談から「杉山の足なら20万ドル」という言葉を引き出し、マスコミに喧伝する。1ドルが360円で固定相場の時代だった20万ドルは、プロ野球を代表する王貞治や長嶋茂雄の年俸の倍近かった。
サッカーという競技の測り知れないスケールと、日本にも価値あるスター選手がいることを知らせたという点で、アルゼンチン戦の勝利は歴史的にも重要な意味を持つことになった。
(文:加部究)
▽ 加部究
スポーツライター。1958年、前橋市にうまれる。立教大学法学部卒業。高校1年のとき“空飛ぶオランダ人”の異名をとるヨハン・クライフの映像に遭遇。衝撃が尾を引き、本場への観戦旅を繰り返すようになる。1986年、メキシコ・ワールドカップを取材するためスポーツニッポン新聞社を在籍3年目に依願退職。以来、ワールドカップ7度、10度以上の欧州カップ・ファイナル及び4つの大陸選手権等の取材をこなしながら『サッカーダイジェスト』、『エル・ゴラッソ』、『サッカー批評』、『フットボール批評』など数多くの媒体とかかわる。代表作に、『祝祭―Road to France』、『真空飛び膝蹴りの真実“キックの鬼”沢村忠伝説』、『サッカー移民』『大和魂のモダンサッカー』、『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』、『サッカー通訳戦記』ほか。
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