神様ジーコとの出会い
けれども「自分は鹿島以外のクラブでやりたいとは全く思わなかった」と断言するように、小笠原は深い鹿島愛を貫いた。98年のプロ入りからの17冠と2009年JリーグMVP獲得、日本代表入り、2002年日韓・2006年ドイツの2度のワールドカップ出場、イタリア・メッシーナ移籍と数々の表舞台へと送り出してくれた愛着のあるクラブに恩返しすることをしか頭になかった。
そういう一本筋の通ったブレない考え方は10代の頃から変わらない。つねに確固たる信念を持って行動する人柄は、内田篤人や昌子源ら後輩から愛され、尊敬された。
小笠原の21年間のプロキャリアは栄光に満ちているが、本人は「悔いばかりが残っている」と神妙な面持ちで言う。「取ったタイトルより、失ったタイトルが何十個もあるからその悔しさがすごくある」という発言は、どんな時も真剣に勝負に挑み続けてきた彼らしい。近年はメディアに対して言葉を発しないことが多かったが、それも自分自身のパフォーマンスに納得していなかったから。年齢に関係なく高みを目指し続ける貪欲さは多くの人々の心を打った。
負けず嫌いのメンタリティを育てた要因はいくつかある。1つはジーコとの出会いだ。
「ジーコには『このチームはつねにタイトルを取り続けなきゃいけない』と言われ続けた。『24時間サッカーのことを考え、練習を100%でやり、それを試合につなげ、勝利を目指せ』と。『勝負にこだわり、勝利から逆算してサッカーを考えることの重要性』を植え付けてくれた」と小笠原は語気を強める。
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