俊輔を奮い立たせた「師匠」の引退
俊輔の心が折れかけたのは、恐らくこの時期だったはずだ。ゴール数がゼロどころか、黄金の左足に宿る正確無比なキックに導かれる味方のゴールも昨季から目に見えて激減していた。必然的に守備陣も踏ん張れず、失点を重ねる悪循環が大きくなる責任を俊輔は一身に背負っていた。
「こういう状況になってしまったのは計算外だと思うし、ゴールがゼロというのはひどい。だからこそ、社長や名波さん、スタッフ、そしてサポーターには申し訳ない気持ちでいっぱいです。僕のなかでは、最後よければすべてよし、じゃないので」
最後の2試合で戦列に復帰したがゴールはあげられず、22年目を迎えたプロ人生で初めて無得点でリーグ戦を終えた。そして、13位からJ1参入プレーオフへ回る16位に転落する悪夢で始まった1週間。非公開とされた5日の練習中にまたもや右足首を捻挫し、東京V戦ではベンチスタートを余儀なくされた俊輔は、試合後にこんな言葉を紡いでもいる。
「僕もここに来てガクッと来てしまったので、逆に来年がちょっと楽しみというか。右足首もけっこう厳しいし、これまでの(居残りの)自主練でシュートを打ちすぎたというか、しょうがない部分もあるんだけど。今日もテーピングを巻いて、注射も打ったりして何とかやっていたけど、まだサッカーが楽しいし、こういう状況のなかでももう少し自分らしいプレーをしたい、という感覚があって」
40日あまりの間に、俊輔の脳裏をかすめた「引退」の選択肢は消え去っていた。静岡新聞に綴った「もうちょっとだけ」とは現役続行を指していた。何がターニングポイントとなったのか。答えは11月4日、相模原の公式HP上で電撃的に発表された川口の現役引退にたどり着く。
「そこで能活さんのニュースがパッと入って来て、逆に自問自答できるチャンスになったというか。能活さんみたいな選手がいなくなると、自分のモチベーション的にも正直……その意味でも本当に能活さんみたいにもがいたのかなと思うと、もうちょっとやりたいというか、やらなきゃいけない、もうちょっと完全燃焼してから、と。能活さんがいなかったら、いまの僕もたぶんいないので」