三尺を渡る覚悟
剣術の極意を問われた宮本武蔵が、「畳の縁を歩けるか」と問い返す有名な逸話がある。質問者が「歩ける」と答えると、同じ幅で高さが三尺(約1メートル)ならどうか、さらに三尺の幅で姫路城の高さならどうかと重ねて問うたという。平地で歩けるなら、高さがいかほどでも歩けないといけないという理屈だが、人間なかなかそうはいかないわけだ。
横浜FMが自陣からパスをつないでくるとわかっているから、相手は奪えばチャンスとばかりプレッシャーをかけてくる。そのプレッシャーの下、ノーミスでプレーし続けるのは、落ちれば危険な高さで畳の縁を歩くようなものだ。ただ、それができないと表芸として成立しない。
さらに裏芸となると、もともとそれが表ではないのだから余計に難しい。実際、C大阪戦でもロングボールを跳ね返されると間延びしたスペースでボールを拾われ、危険な逆カウンターを食らう状況になっていた。
GK経由のビルドアップには、いくつかのセオリーがある。近くのフリーマンにつなぐ、遠くのフリーマンにつなぐ、最前線の同数地帯へ蹴る、最前線の同数を1対1がいくつかある状態から1対1が1つの状態にして、直接またはワンクッション入れて狙う・・・。同じように、シティ流のポジショナル・プレーにはセオリーの表裏があり、さらに選手の判断でセオリーを外すこともできなくてはいけない。シティのGKエデルソンは、1対1の裏側まで飛ばすセオリーの上をいく力まで持っている。
1シーズンでシティの域に達するのは無理なのだ。けれども、その域まで行けば横浜FMはチャンピオンになれる。それまで何人の選手を入れ替えなければならないのか、いくつの妥協が必要になるのかはわからない。ただ、「三尺を歩く」と決めなければ永久にそこには到達できず、飯倉は少なくともその覚悟があるようだった。
(取材・文:西部謙司)
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