夢だった海外でのプレー。選手人生に悔いなし
夢だった海外でのプレーも、昨年タイで叶えた。高木は「(タイでの経験は)本当に大きかったです。外国人選手(の気持ち)というのが少しわかりまいたし、外国人は外国人でいろいろ大変な中でやっている選手もいる。それは行って、現地で生活して、ヨーロッパとかに比べたらレベルは低いですけど、やっぱり刺激は受けたかったし、海外に住みたいという思いはずっとあったので、人生の中でも本当に1年間ずっと楽しかった貴重な経験でした」と濃厚だった1年間を振り返る。
38歳で現役引退。プロ生活18年半で大きな怪我もなく、手術もなし。日本代表にも選ばれ、海外でのプレーも経験した。幸せな選手人生、「よくやったなと思う部分と、もうちょっとできたなと思うところはありますけど、トータルで見て全く悔いはない」という高木の言葉に嘘偽りは一切ない。ただ、唯一少しだけ引っかかるのは「タイトルに本当に縁がなかった」ということだという。経歴には清水とG大阪でそれぞれ天皇杯優勝が一度つずつあるが、高木本人の印象は少し違う。
「エスパルスではナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)の決勝で負けたこととか、自分のイメージではどちらかというと負けている印象の方が強いです。ガンバでも天皇杯を獲ったんですけど、僕は(決勝で)出場停止だったんですよ。エスパルスの時も確かベンチを外れたり(優勝した2002年元日の第81回天皇杯決勝)とか、そんなだったんですよね…。(タイトルは)獲れればよかったと思いますし、昨年は(川崎フロンターレで初優勝した中村)憲剛を見て『本当におめでとう』と思っていましたからね。あいつの涙も本当にわかりますから」
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