「早く終わって欲しいと願っていた」J開幕戦
-では、何を評価されたんでしょう?若さですか?
「川淵さんがそこを重視された可能性はあるでしょうね。とはいえ、開幕戦時は39歳。今考えると全然若くない(笑)。あと、1992年に開催されたアジアカップの開幕戦で審判を担当して、良いゲームコントロールをしたらしいです。それも評価されたかもしれないです」
-実際にJリーグ開幕戦を担当してみてどうでしたか?
「選手がフェアにひたむきにプレーして、レフェリーが目立たない良い試合でした。ただ、正直ひとつひとつのプレーはあまり覚えていないんですよ。何とか早く終わって欲しいと願っていました」
-この試合では警告を3枚出されています。Jリーグ初の警告は都並選手ですが、最初にイエローカードを出す際、躊躇はしましたか? 歴史に刻まれる警告ですし、相手のことを考えると出しにくい気もするのですが。
「それはなかったですね。日本リーグ時代からよく知っている都並さんだったから余計に躊躇はなかったのかもしれません(笑)。笛を吹いて彼に近づいて行ったら謝っていましたし、あの人柄に救われました」
-緊張感のある試合の中でもそんな余裕があったんですね。
「この開幕戦の前にイランで10万人の観客が入った試合の審判を経験していたんです。白装束の男性ばかりで。それが結構難しい試合だったから、それと比較すると開幕戦とはいえ少し心の余裕がもてました。セレモニーは華やかにやっていましたけど、キックオフの笛を吹いた後は目の前のプレーに集中することができましたね」
-試合後の反響はありましたか?
「それはすごかったですね。電報、電話、手紙……。友人には黙っていたんです。失敗した時に困るから(笑)。けど、TVとかスポーツ新聞で選手が入場するシーンで私も映っているからすぐにバレました。審判委員会のアセッサーからの評価も悪くなかったですよ。審判は試合ごとに採点されるんです。私はこの開幕戦で9点台(10点満点)を付けて頂いたと思います」