リオ五輪世代の仲間たちとの再会
ベネズエラ戦前の大分合宿で、まだチーム全員が揃わない中で行われたミニゲームで、山中は4-2-1の左サイドバック的なポジションに入っていた。スペースを制限された小さなコートでボールを奪い合えば、必然的に展開は早くなり、カウンターの応酬になる。そこでも山中はボールを奪われた瞬間に立ち位置を高く保ったまま、少し中に絞り、ゴールへの最短経路を封じた。その動きには、コーチからも拍手と賛辞の声が送られていた。
短い時間の中でも、着実な積み上げがあったからこそ、A代表初出場でも本来の持てる力を存分に発揮できた。「今日に関しては本当に経験のある選手が引っ張ってくれたので、僕としてはついていくだけでしたし、周りのサポートに感謝したい」と山中はキルギス戦後に語っていたが、自らが輝ける得意な形を練習中から発信したからこそ得られたサポートだったはずだ。権田からの助言も普段通りのパフォーマンスを出すことに一役買った。
キルギスから4点目を奪った後は、中島翔哉が山中の前に入った。直前に投入されてファーストプレーでゴールを奪った10番は、リオデジャネイロ五輪世代のU-23日本代表でともに戦った間柄で、プレーの特徴も熟知している。
2人が縦関係になったラスト20分間は、さらに山中のポジション取りが変わった。中島が中に絞れば、その外側を走る。逆に中島が外に張った状態からドリブルを始めようとすると、その内側、ペナルティエリアの角あたりから追い越して相手のマークを引き連れ、カットインするスペースを作る。
マリノスでのサイドバックとウィング、あるいはセントラルMFの関係では「立ち位置が縦に被らないこと」を意識しなければならないが、まさに日ごろの積み重ねが旧知の中島との関係の中でも発揮された。
日本代表初招集だった山中は、今回の合宿初日に「(リオデジャネイロ)五輪ではすごく悔しい思いをしたので、やっとまたこのユニフォームを着られるということにすごくワクワクしていますし、ついにここまで来たなという感じ」と、当時のチームメイトだった南野拓実や中島が輝きを放つ姿を見て「いつか僕も」と目指していた場所にたどり着いた実感を話していた。
同時に「ゴールやアシストという目に見える結果を残して、生き残れるようにしたい」とも。有言実行で「ゴール」という結果を残し、強烈なインパクトを残した。