ボルト効果での人気は将来につながらず
「ボルト破談」の報道が出た後も、「いや、商業的な興行としてみれば、ボルトがいた方がいいのでは」とか、「ボールをうまく蹴れなくても、ピッチを駆け抜けるボルトが観られるなら、スタジアムに行くよ」といったような様々な意見が耳に入った。
しかし、そこにはきっちり反論しておこう。
サッカーはプロスポーツ。広義の興行ではあっても見世物ではない。特に、他のプロスポーツに押されがちなこの国では、ファン受けする話題性重視のプロモーションも大事だが、やはり地に足を付けたレベルで確実に進めるのが肝要。今回の「ボルト劇場」のような一時的なマーケティングでは掘り起こせないところにAリーグの取り組むべき課題があるからだ。
既に競技人口では他のあらゆるスポーツを凌駕している「やる」スポーツのサッカーが「見る」スポーツとして独り立ちできないという現実が、この国でのサッカーのメジャー・スポーツ化を阻んでいる。
有り体に言えば、お金を払ってでも「見たい、観に行きたい」と思うサッカーを披露できるのは「ケイスケ・ホンダ」ではあっても、「ウサイン・ボルト」ではない。そして、そういう本物のプロでないと、継続的に足を運ぶファンは生み出せない。
サッカーを純粋に愛するボルトが、いつの日かチャイルドフッド・ドリームを世界のどこかで成就させるように祈っている。申し訳ないが、実力が足りていなかった以上は、そのどこかが、Aリーグ、オーストラリアではなかったということだ。
ボルトは去った。ここから、本田圭佑という「ほんまもん」を通じて、どんどん豪州サッカー・Aリーグに親しんでもらいたい。
(文:植松久隆)
【了】