バルサ化できるか? を問うているようでは無理
バルサ化を志して1年に満たないヴィッセル神戸は、当然のことながらハリボテ感がすごい。ただ、短期間にハリボテまででも出来ているのは、イニエスタもさることながら藤田直之やルーカス・ポドルスキといった実力者がいるからだろう。
ファン・マヌエル・リージョ監督も来た。バルセロナを率いたことはないが、「どうプレーすべきか」において揺るぎない信念の人だ。バルサ化を目指すクラブには、うってつけの監督といえる。うってつけすぎて降格してしまうかもしれない。一般的にはマルセロ・ビエルサ、パコ・ヘメス、ズデネク・ゼーマンと並ぶ変人監督といえる。
リージョに問うべきは勝ったか負けたかではなく、良いプレーができたか否か。良いプレーは勝利のためなのだが、効果が出るまでには時間がかかる。壊すのは簡単だが、創るのは時間も手間もお金もそれなりにかかる。良いプレーをして勝てないということも大いにありうる。勝つための良いプレーなのに、良いプレーをしようとすると勝てないというパラドックスに陥ることぐらいは織り込み済みでなければならない。
その本当の価値も知らず高級ブランドのバッグを買うようにバルセロナ化を目指しているだけなら、到底長続きはしないだろう。「高いから」だけが理由ではブランド物が似合うはずもない。バルセロナのブランド価値はその哲学にあるわけで、つまり「神戸はバルサ化できるか?」「いつバルサになれるのか?」「バルサ化したら勝てるのか?」を問うているなら、その時点でバルセロナにはなれない。それらの問いをすべて封印して、これが我々の生き方だというところからしか、たぶん何も始まらない。
(文:西部謙司)
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