才能に見合う試練を乗り越えた
2012年に甲府とプロ契約。その年の9月に右膝前十字靭帯を損傷、翌年に復帰するが契約更新はなく退団。2014年に相模原に入りJ3で28試合に出場。2015年に浪人生活。トライアウトでも行き先が決まらなかったのは、負傷のこともあるだろうが、三幸のプレースタイルも関係があるかもしれない。
上手いのは確かだが、置き所が難しい。精巧なガラス細工のような選手なのだ。観賞用にはいいが、実用には向かず壊れやすい。ある意味、使う側に覚悟が要求される。
それでも周囲の助けもあって2016年に現在の山口と契約、36試合にプレーした。2017年は左足側幅靭帯損傷で2ヶ月間の離脱、チームも低迷した。ただ、幸いにもやって来た霜田監督は覚悟のある人だった。
「いろいろなことがあって、そのぶん強くなった」(三幸)
アカデミーを出た後の「イケイケ」とは、たぶん調子にのっていたということだろう。才能に胡座をかいていたのだろうか。今の三幸は、ある意味才能に見合う試練を乗り越えたことで成長を遂げている。
依然として、このタイプを中盤の底に起用するリスクはある。そうでなければ、現代サッカーでもフランツ・ベッケンバウアーやギュンター・ネッツァーは絶滅種にはなっていない。三幸も時代に適応する必要はある。
「監督からはパス成功率100パーセントを狙えと言われています」(三幸)
現代にもトニ・クロースはいる、ピルロもいた。100パーセントのプレーヤーなら、必ず生き残れる。
(取材・文:西部謙司)
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