包囲攻撃を受ける街で子供たちにフットボールを
トミスラフ・バシッチは、その一つひとつの言葉に耳を傾けるべき博識な男として、そこにいた。1937年にザダール北東の島ヴィルで生まれた彼は、町では知られた存在だった。素晴らしいスポーツマン、フットボールの代表選手、名誉ある監督で、その賢明さによってペタンクでも腕を振るい、さらには故郷の社会、文化、政治にいつも積極的に関わろうとしていた。
包囲攻撃を受けていたあのつらい月日に、彼はNKザダールの下部組織の責任者を務めていた。フットボールをプレーすることを望むすべての子供を受け入れるという彼の考えは、彼らを路上にある過酷な状況から遠ざけることになり、多くの問題に苦しむ町にとって少なくはない助けとなった。
1991年から1993年までの激しい爆撃の中で、水は定期的に供給されることなく、電気も200日以上通っていなかった。道にある雨水井戸と忘れられないうなりを発する発電機は、あの美し過ぎる町が少し前まで抱えていた、むごたらしい風景の一部だ。
1943年にはナチス・ドイツに占拠されて、その次の第二次世界大戦では連合軍の攻撃を受けてと、ザダールの年長者たちにとっては何度も経験した思い出であり、その度に赤十字社が世界からの助けの手という役割を担った。
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