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世界最高のMFモドリッチの知られざる幼少時代。爆弾が降り注ぐなかでも追い続けたボール

ロシアW杯MVP、FIFA最終選手賞に選ばれたルカ・モドリッチは、幼少時代にどのような道を歩んできたのか。知らざるエピソードとともに3回にわたってその道程を追っていく。『ルカ・モドリッチ 永遠に気高き魂』(10月19日発売)から一部抜粋編集。(文:ビセンテ・アスピタルテ、ホセ・マヌエル・プエルタス/翻訳:江間慎一郎、再構成:編集部)

text by ビセンテ・アスピタルテ photo by Getty Images

包囲攻撃を受ける街で子供たちにフットボールを

ルカ・モドリッチ
ルカ・モドリッチ【写真:Getty Images】

 トミスラフ・バシッチは、その一つひとつの言葉に耳を傾けるべき博識な男として、そこにいた。1937年にザダール北東の島ヴィルで生まれた彼は、町では知られた存在だった。素晴らしいスポーツマン、フットボールの代表選手、名誉ある監督で、その賢明さによってペタンクでも腕を振るい、さらには故郷の社会、文化、政治にいつも積極的に関わろうとしていた。

 包囲攻撃を受けていたあのつらい月日に、彼はNKザダールの下部組織の責任者を務めていた。フットボールをプレーすることを望むすべての子供を受け入れるという彼の考えは、彼らを路上にある過酷な状況から遠ざけることになり、多くの問題に苦しむ町にとって少なくはない助けとなった。

 1991年から1993年までの激しい爆撃の中で、水は定期的に供給されることなく、電気も200日以上通っていなかった。道にある雨水井戸と忘れられないうなりを発する発電機は、あの美し過ぎる町が少し前まで抱えていた、むごたらしい風景の一部だ。

 1943年にはナチス・ドイツに占拠されて、その次の第二次世界大戦では連合軍の攻撃を受けてと、ザダールの年長者たちにとっては何度も経験した思い出であり、その度に赤十字社が世界からの助けの手という役割を担った。

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