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世界最高のMFモドリッチの知られざる幼少時代。迫りくる戦火と愛する人の死。それでも愛したボール

text by ビセンテ・アスピタルテ photo by Getty Images

夜戦の場と化したスタジアム

 クロアチアのナショナリズムがひどく傷ついている中、あの有名なジェリコ・ラジュナトヴィッチを中心とするベオグラードの3000人のサポーターがザグレブに乗り込むと、会場は圧力釜となり、政治的メッセージが発せられたことで最後には爆発した。マクシミールはたちまちの内に、1時間にわたって続く野戦の場と化したのだった。

 刃物も用いられた救いようのない争いの中で、ボバンは警察に一撃を食らわせた。当初はセルビア人警察に見舞ったものとされたが、後にムスリム人(ボシュニャク人 )に対してであったと判明し、ディナモの10番はイタリア・ワールドカップ参加を妨げられることに。それと同時に彼はクロアチア人の象徴として、セルビア思想の標的にもなっている。

 スポーツにおける成功と、政治的緊張の年月の中で、モドリッチ一家は平穏な日々を過ごしていた。

 首都ザダールから国の内側に向けて40キロ進んだところにあるオブロヴァッツ。そこのヴェレビト山脈の傾斜に位置する、当時500人をわずかに超えるほどの住民数だったザトン・オブロヴァチュキでの暮らしは、そこまで裕福ではないものの、十分に穏やかで、安定していた。ラドイカとスティペは、オブロヴァッツにあるトリオというニット衣類の製造工場で働いていた。就業時間は厳しく、息子は父方の祖父の家で、1日の大半を過ごさなくてはならなかった。

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