ダルマチアが数多くの才能を輩出する背景
今日ではザダール、シベニク=クニン、スプリト=ダルマチア、ドゥブロヴニク=ネレトヴァと行政的に4つの郡に分けられているこの古代ローマの旧地域は、地理的、歴史的な豊かさを享受している。そこはアドリア海の大部分やディナル・アルプス山脈の威容を抱え込むことで美しきコントラストを誇り、その位置的な恩恵によって、何世紀にもわたり多くの文明に飛び地を促したと推定される。
この地域で生まれたチャンピオンたちを一覧で振り返るとすれば、衝撃を受けることになるだろう。そして、ここからクロアチアの北へと向かって100キロ範囲を拡大すれば、同国トップレベルのスポーツマンの大多数を含められるのだ。
1985年9月9日、ラドイカとスティペのモドリッチ夫妻はここダルマチアで、3人の子供の一人であり、唯一の男の子となるルカを授かっている。その時代のクロアチアはまだ、元帥ヨシップ・ブロズ、通称チトーのユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属していた。第二次世界大戦後に築かれ、1992年1月15日にスロベニア、そしてクロアチアの独立でもって終焉を迎えた彼の国である。
地理上のダルマチアは、今日そこを訪れる人々にとっては魅力的であり、一方その土地に住む人々の生活環境としては、歴史的に複雑な場所である。山脈と島々と岩々は住民に環境に馴染むための並々ならぬ苦労を強い、そこに民族の混在も結びつくと、時間の経過の中で感嘆すべき遺伝子が育まれた。近年の欧州において、スポーツ分野での才能を数多く輩出する地域となっている。
イリュリア人、ギリシア人、ローマ人、フランク人、ビザンティン人、オスマン・トルコ人、ヴェネチア人、オーストリア人、イタリア人やほかの住民が、彼らの後継ぎたちにクロアチア国内のそのほかの地域、また言わずもがな国外で羨望と願望の的となる遺伝子構造を授け、そしてその遺伝子の進化は単純な自然選択に委ねられた。