次世代の新たなスタンダードが見えた
この動揺は、セカンドボールへの反応など、二次的な動きの1歩目、2歩目の鋭さに繋がっていくものです。モチベーションが高いにもかかわらず、足が出なくなる試合はだいたいこのパターンで、2つの失点の場面でGKが弾いたボールにDFが反応できなかったウルグアイは典型的な例だったと思います。
こういった試合前の想定のレベルを途中で下げて修正していくことは難しく、「こいつら思った以上にやるな」という意識が出てくると、サッカーは非常に難しくなります。ウルグアイほどのレベルの選手たちでも、想定以上のことが起こるとああなってしまうんだなとも思いました。
逆に日本の選手たちはウルグアイに立ち向かっていって、彼らと対等に戦うことがもはやスタンダードになってきているとも感じました。いくら「相手と同じ目線に立って戦おう」と言葉で言っても難しいものですが、若い選手たちにはウルグアイの選手たちと戦うことへのコンプレックスはすでになくなっていて、ボールを持っても自信満々でしたよね。
もしこれが小学校高学年で「ドーハの悲劇」が記憶に刻まれ、やっとワールドカップに出られるようになった時代に育った僕らの世代だったら、全く違ったでしょう。今の若い世代の選手たちにとってワールドカップに出ることは当たり前で、本田(圭佑)選手や香川(真司)選手、岡崎(慎司)選手などが世界のトップレベルのクラブに入っていくのを見ながら育ってきているので、「よし、俺たちはそこを超えていくんだ」という意識が彼らのスタンダードを形成しています。
ウルグアイに対してもプレッシャーをかければボールを奪えるという確信があってプレーしていたでしょうし、日本の選手たちのプレーの基準が上がってきているのは間違いありません。そこをウルグアイは見誤ってしまった。といっても、ウルグアイの選手たちも油断したわけではなく、彼らのスタンダードの中で無意識にそうなってしまったのだと思います。