「今日は永遠に忘れない日になった」
トップチームでの背番号は28。スペインは背番号25までが“一軍”のため、世界最高峰の実力者が揃ったクラブでその枠の中に入るのは困難を極める。ヴィニシウスがネイマール級のポテンシャルをどのように拓いていくか、注目度はマドリード・ダービーでの公式戦デビューによって格段に上がった。
思い返せばネイマールは2013年夏に当時21歳でバルセロナの一員となり、巨大な期待とプレッシャーを背負いながら、そのシーズンの開幕戦に途中出場してラ・リーガの舞台に立った。背番号11をまとったトサカ頭の青年は自信たっぷりの王様然としたプレーで目の前のDFをキリキリ舞いにし、鋭い動き出しでゴール前に侵入していく。それに加えて味方を活かす術も心得ていた。精神的な未熟さという課題こそあったものの、のちに世界最高の選手になれるとの確信を誰もが抱くプレーぶりだった。
その“王”と比較されるヴィニシウスは、3歳若く欧州の舞台に上がった。ネイマールはサントス時代の2010年に18歳でブラジル代表デビューを飾ったが、後継者たるマドリーの星はより厳しい環境で揉まれながら、偉大な先輩と同じ場所に立つために研鑽を積んでいく。
試合後、クラブ公式TVのインタビューに答えたヴィニシウスは「マドリーのユニフォームを着てサンティアゴ・ベルナベウのピッチに立ててとても満足している。ダービーでのデビューは特別な瞬間だった。いつもトレーニングで改善と進化を助けてくれた全ての選手、そしてロペテギ監督に感謝したい。今日は永遠に忘れない日になった。僕はマドリーで歴史を作った」とポルトガル語でデビューの喜びを語った。
さらに自らのツイッターには「新たな本の1ページ目。ダービーでデビュー! 僕たちは努力し続ける。全てのメッセージに感謝したい。マドリー万歳!」と投稿した。
一方、ロペテギ監督は試合後の記者会見で「チームは最後にスピードを必要としていた。それはヴィニー(ヴィニシウスの愛称)が持っているものであり、ピッチに送り出した理由でもある。相手はとても疲れていたので、スピードがアトレティコにダメージを与えられるかもしれなかった。決まらなかったが、ゴールへのチャンスも作った」とヴィニシウスの起用について説明した。
スピードとドリブルというストロングポイントを高く評価しているからこそ、指揮官は将来への期待も込めて、できるだけ大きな舞台の勝負どころでホームのファンにお披露目しようと考えていたのかもしれない。ヴィニシウスにとってその場は、サンティアゴ・ベルナベウでの「特別な」マドリード・ダービーだった。
まだまだ荒削りな才能の塊を、ロペテギ監督やコーチ陣がどのように磨いていくか。そしてヴィニシウスが「本」を2ページ目、3ページ目とめくっていった先に何が見えてくるのか。次の時代の象徴となるべき選手の新たな物語が、リオデジャネイロから場所を移し、マドリードの地で幕を開けた。
(文:舩木渉)
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