ヤングなでしこ、U-20女子W杯初制覇の立役者
「ヤングなでしこ」という言葉は、日本で開催された2012年のU-20女子ワールドカップの際に、U-20女子日本代表の愛称として定着したと記憶している。ちょうど前年になでしこジャパンが女子ワールドカップで初優勝を飾り、女子サッカーに注目が集まっていた頃だった。
あれから6年が経ち、日本女子サッカー界を取り巻く状況は大きく変わった。2011年の女子ワールドカップ優勝メンバーだった宮間あやはかつて「女子サッカーをブームでなく文化にしたい」と常々語っていたが、現状は「ブーム」が去り、一時のような盛り上がりはもうない。
だが、その流れを変えるかもしれない、新たな日本女子サッカー界の希望とも言える出来事があった。2018年8月24日、新世代の「ヤングなでしこ」が史上初のU-20ワールドカップ優勝を果たしたのである。
その大会で日本の10番を背負い、決勝までの全6試合にフル出場したのが長野風花だった。15歳でなでしこリーグ初出場、飛び級で参戦した2014年のU-17ワールドカップで優勝、2年後には「出場全選手中唯一のタイトルホルダー」として2度目のU-17ワールドカップに出場して準優勝&大会MVP、そしてAFC最優秀ユース選手も受賞した、いわば「将来を約束されたスター候補」である。
しかし、これだけ輝かしい実績を誇る彼女でも、これまでのキャリアは決して順風満帆ではなかった。今年、日本女子サッカー界を驚かせたのは突然の「韓国移籍」。浦和レッズレディースの一員として、なでしこリーグという国内トップレベルの環境に身を置いていた有望株が海外挑戦を決断した。
では、なぜ韓国への移籍だったのか。そして、自身の過去、現在、未来にどのような考えを持ち、その視線の先に何を見据えるのか。なでしこジャパンへの思いとは…。韓国で奮闘する長野を直撃した。(取材日:2018年5月26日)