苦しみながらも成長の糧となったJ3時代
FC東京の堅守を支える2人のセンターバック、元日本代表の森重真人と韓国代表としてワールドカップ・ロシア大会に出場したチャン・ヒョンス相手にフィジカル勝負を演じられ、ボールをキープして起点となり、相手の体力を削ぎ落とさせる仕事を愚直に繰り返せるフォワードが必要だった。
高校2年生の春まで務めたセンターバックから、フィジカルの強さとスピードを見込まれてフォワードへコンバートされた一美は、身長181cm体重77kgのボディに荒削りながらも無限の可能性を秘めている。宮本監督もそれを見抜き、J3を戦わせながらポストプレーや泥臭い動きを叩き込んできた。
宮本体制になって高がダブルボランチの一角を射止めて先発フル出場を続け、高江もジュビロ戦で先発を果たした一方で、一美はベンチで戦況を見続けてきた。
「フォワードがいなくなるのでチャンスだと思っていたし、いつ先発が来ても、という心の準備はできていました。外から見ていてもどかしい気持ちがありましたし、自分が試合に出たらこうしてやる、という気持ちもあった。ゴールは奪えませんでしたけど、自分のいいところは出せたと思う」
米倉との交代でベンチへ下がるまでの81分間を、一美はこう振り返った。高や高江とともに、昨シーズンのJ3では苦戦いを強いられた。当時の長谷川監督の方針でトップチームの活動と完全に切り離され、万博記念公園内の練習場も使えず、週末のJ3へ向けて人数をそろえるのにも四苦八苦した。
実力が劣るのを承知のうえで、ユース所属の高校生を2種登録してリーグ戦に臨んだ。結果は17チーム中で16位。それでも宮本監督は愚痴も弱音も吐かず、ましてや逆境を耐えて成長の糧にしろとも命じなかった。ルーキーや2年目の若手選手たちへ、むしろ檄を飛ばし続けた。
「J3で勝てなかったことに対して、プロ意識やプレーへの責任ということは、ツネさんからよく言われていました。どちらかと言えばいまのJ1の状況が似ているし、一番きついときにどれだけ頑張れるかが問われていると思っています」
攻守両面で及第点と言っていいプレーを見せた一美が指揮官から叩き込まれたイズムを体現すれば、FC東京戦でも先発フル出場し、72分からは途中出場の高江と慣れ親しんだダブルボランチを形成。司令塔の遠藤保仁を後方から支援した高も胸を張る。
「ボールへの寄せとセカンドボールの回収は2人のマストな仕事にして、あとは自分が先発から出ていて少し運動量が落ちたなかで、運動量がある高江をちょっと前へ行かせるようにしました」