香川、吉田らは“珍しい”世代
次の2006年カタール大会は反町康治監督が指揮を執り、Jリーグで売り出し中だった西川周作、細貝萌、本田圭佑、平山相太らが柱としたチームで戦った。が、この大会で思った以上に成果が出なかったこともあり、指揮官は五輪予選突入後、メンバーを大胆に入れ替えていく手法に切り替えた。
その過程で発掘された象徴的存在が長友佑都。北京本大会メンバーには五輪予選を戦っていない森重真人や香川真司、吉田麻也らが抜擢されており、アジア大会が五輪代表の土台作りにそれほどつながらなかった珍しい世代と言える。
反町ジャパンと対照的に、アジア大会の重要性が高かったのが、2010年広州大会で優勝した関塚隆監督が率いたチーム。この時はJリーグの試合に出ているU−21世代の選手招集に難色を示したJクラブが過去にないほど多く、ベストからかけ離れた陣容で初の国際舞台に挑まざるを得なかった。
Jリーグ組は山口蛍や東慶悟らクラブで出番に恵まれていなかったメンバーが大半を占め、苦肉の策として山村和也や永井謙佑ら大学生7人を抜擢した。「この陣容では厳しい」と悲観的な見方も根強かったが、フタを開けてみると彼らはまばゆいばかりの輝きを放つ。チームはトントン拍子に勝ち上がり、最終的にはイランやUAEという強豪も撃破。
優勝という予期せぬ結果を手にすることができた。同大会までボランチでプレーした経験がほとんどなかった山口が「セキさんに出会って人生が変わった」と言うように、隠れた原石が何人か発掘されるという副産物もあった。
結局、関塚ジャパンはここで成功を収めた山口、鈴木大輔、東、永井がロンドン五輪代表を軸に、清武弘嗣や扇原貴宏らが加わる形でチーム強化が進められ、本大会4位という好成績を収めた。アジア大会の成功体験がその後に大きく影響したのは事実だろう。