東京五輪世代の突き上げが成功への鍵になるか
前述の南米選手権とシドニー五輪アジア1次予選の後、1999年秋からはシドニー五輪アジア最終予選があって、全世代の本格的な融合は2000年からだった。こういった長期ビジョンを持ちながらの融合は今回の参考になるだろう。
同年は9月にシドニー五輪本大会があり、10月にはアジアカップに赴くという強行スケジュールも余儀なくされたが、トルシエ監督がこの時点で作っていたA代表の約半数が五輪世代だったため融合が非常にうまくいった。それは見逃せない点だ。つまり、今回もどれだけ多くのメンバーが東京五輪世代からA代表に上がってこられるかが成否のカギになると言っていいだろう。
とはいえ、当時の五輪世代には中村俊輔、小野、稲本潤一といったタレントが集結していたが、今回は現時点でそこまでのレベルには達していない。もちろん堂安律や伊藤達哉のように欧州で実績を積み上げている逸材もいるが、すでにA代表で実績のある吉田麻也や香川、その下の世代にあたる大迫勇也や原口元気ら上の世代とはまだまだ大きな差がある。2002年と同じようにうまくいく保証はない。
加えて言えば、トルシエ時代のスタート時は海外組が中田英寿しかいなかった。その後、名波浩、西澤明訓、小野、稲本、川口能活らが海外に出て、2002年の日韓ワールドカップ時点では海外組が4人になっていたが、現在の数とは雲泥の差だ。
海外組は国際Aマッチウィークしか招集できず、Jリーグも2000年代初頭より日程が過密になっている。「代表よりクラブ」という考え方も浸透し、リーグ戦の合間に強化合宿を組むチャンスもなかなか得られないはずだ。そういう状況だけに、森保監督はトルシエ氏以上に苦労するだろうが、当時の例を参考にしながら自分なりのスタイルを構築していくことが求められる。新指揮官がこなすべき仕事は少なくない。
(取材・文:元川悦子)
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