森保監督に早くも試練。9月の代表戦をどう乗り切る?
ただ、気になるのは、本人も「1人では不可能」と発言した2つの代表の掛け持ちをどうするかだ。当面は五輪代表のスタッフでA代表の活動も進めていく考えというが、新体制の初陣となる9月7日のチリ戦は五輪代表が出場するインドネシアでのアジア大会の直後となる。
9月1日に行われるアジア大会の決勝まで勝ち進み、森保監督も帯同していた場合、とんぼ返りで札幌に赴き、待ったなしでA代表のトレーニングを行うことになる。もちろん選手の視察もメンバー選考も指揮官だけではできないし、合宿の計画や準備も難しくなる。
森保監督は「A代表に関わる方々が全体で見ながら選考していくように情報を共有していけば大丈夫かなと思う」と関塚隆技術委員長らのサポートを受けながら進める考えを示したが、初陣からそういう状況では先々が思いやられる部分も否定できない。4年後に向けてのスタッフ編成は今季のJリーグが終わってから本格的に始まる見通しのようだが、そこで実績ある指導者を最低1人はチームに加えることが重要なポイントになりそうだ。
実際、日本代表における兼任監督の唯一の前例であるフィリップ・トルシエ体制の時も、山本昌邦コーチがついて、指揮官不在の際にフォローしていた。顕著だったのが、1999年6月から7月にかけての南米選手権と2000年シドニー五輪アジア1次予選・日本ラウンドの日程が重複した時。トルシエ監督はA代表を率いるためにパラグアイへ飛び、五輪予選は山本コーチが監督代行として指揮を執った。選手選考はトルシエ監督が行い、山本コーチが練習の進行や試合の采配を担当するという流れだった。
山本コーチはシドニー世代の上半分にあたる宮本恒靖、戸田和幸、中村俊輔らで挑んだ97年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)の監督を務めていて、選手個々の特徴をよく知っていたから、トルシエ監督も安心して指導を任せられたはず。その後、山本コーチが2004年アテネ五輪代表の監督となり、ジュビロ磐田の指揮を執ったのはご存じの通り。森保監督の下にもそういった人材を加えられれば、負担は減るだろう。