代表のキットマネージャーになって
2月からは(現在所属する)アディダスジャパンでお世話になることになりました。代表チームの方から声をかけていただいて、12月の下旬くらいには決まったと思います。すごくありがたいお話でしたけど、うれしいとかホッとしたとかいうよりも、少し複雑な気持ちだったというのが正直なところです。実際、アディダスで働き始めてからも「代表の仕事ができるかも」という期待よりも、フリューゲルスの選手たちのその後が気がかりでした。みんな行き先がバラバラでしたし。
A代表の現場は麻生くんがいたので、僕はユース世代から担当しました。初めてメインでやらせていただいたのが、01年にアルゼンチンで開催されたワールドユース。監督が西村(昭宏)さんで、阿部(勇樹)選手とか大久保(嘉人)選手の世代です。自分が担当してきた選手たちがA代表にステップアップしていくのは、見ていて楽しかったですね。
そのあとA代表も担当するようになって、ナラさんとかアツ(三浦淳宏)さん、それから波戸(康広)やヤット(遠藤保仁)とも代表で再会しました。もちろん、どの選手ともフラットに接していましたけど、やっぱり元フリエが代表入りするのは嬉しかったです。
あれから20年が経ちましたけど、今でも仕事やプライベートで元フリエの人たちとはたまにお会いします。モトさんはJFAの技術委員をやっていましたし、今年の2月にJクラブのキャンプ回りをしていたら(V・ファーレン)長崎でコーチをやっている原田武男さんに声をかけられました。
スタッフだった人たちとも、年に何回か食事をする機会もあります。僕にとってのフリューゲルスですか? サッカーの仕事をする上での「原点」ですよね。日本代表やワールドカップで仕事をしていても、それはまったく変わることはないし、フリューゲルスでの2年は一生忘れることはないと思います。
<文中敬称略>
(取材・文:宇都宮徹壱)
【了】