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Jリーグ 6年前

原点だった横浜Fの消滅。「本当にクラブがなくなるんだな」。元ホペイロが語る2年間の記憶【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Getty Images,Tetsuichi Utsunomiya

「伝説の決勝」が終わってもホペイロの仕事は続いた

 天皇杯は2週間の間に、博多、鳥取、神戸、長居、東京でしたよね。大変は大変でしたけど、自分も若かったのでしんどいとは感じませんでしたね。午前中に練習して、午後の3時くらいに移動して、前泊するホテルで選手のスパイクを磨いていました。仕事が終わるのは0時を回るくらいでしたかね。

 ちょうどその頃にはトレーナーさんたちも選手のケアが終わって、一緒にラーメンを食べに行って休むっていう感じでした。「次、負けたら終わり」というのは、僕らスタッフも同じ。ですから「明日も頑張ってくれよ」って念じるように、スパイクを磨いたことを思い出しますね。

 決勝進出が決まって、大晦日の夜もいつもどおりの仕事をしていました。ただ、「このチームの人たちのスパイクを磨くのは、これが最後なんだよな」っていう寂しさは感じていましたね。元日の決勝は、マラソンゲートの近くで試合を見ていました。(バスドライバーの)山田さんも一緒だったと思います。相手は(清水)エスパルスでしたが、負ける気がしなかったですね。というか、天皇杯が始まってからはチーム全体のテンションが違っていて、「最後(決勝)まで行ける!」という感覚になっていましたね。選手はもちろん、僕らスタッフもそんな雰囲気になっていました。

 試合はエスパルスが先制したんですよね? その時は「うわ、まじか!」って思いましたけど、すぐに「このチームなら何とかしてくれるでしょ」ってなぜか楽観できましたね。前半終了間際に久保山(由清)選手のゴールで同点に追いついて、それが確信に変わりました。僕らが忙しくなるのはハーフタイム。選手がロッカーに戻ってきたら、着替えの手伝いですよね。タオルや水を渡したり、選手が脱いだものを回収したり。とにかく自然に身体が動いていたので、この時のことはあまりよく覚えていないです。後半の45分も、吉田(孝行)選手の逆転ゴール以外は、あまり記憶にないですね。

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