合併を知り「またフリーターに戻るの?」
ましてや日本代表のスタッフとして、自分があの舞台にいることなんて夢にも思いませんでした。それこそ変な話、フリューゲルスが消滅していなかったら、僕はずっとあそこでホペイロの仕事を続けていたんじゃないかと思います。実際、やりがいも感じていたし、居心地も良かったですし。
合併のことを最初に知ったのは、実家からの電話でした。母だったのかな? そこはあまり覚えていないんですけど、「朝のニュースで今やっているから、すぐにTVを点けて!」って言われて。それから「うわっ! マジか?」ってなりましたね。当時、寮にはヤット(遠藤保仁)とか手島(和希)といった若手がいましたが、彼らが気づいて騒ぎになる前にクラブハウスに向かうことにしました。
たぶん、その間にチームマネージャーと連絡を取り合っていたと思います。移動しながら「チームがなくなるっていうことは、オレも無職になるの? またフリーターに戻るの?」なんてことを考えていましたね。
6時にTVのニュースを見たので、7時過ぎにはクラブハウスに到着していたと思います。すでにマネージャーは到着していて、今日の対応について確認しました。
まずは混乱を避けるために「関係者以外立ち入り禁止」という張り紙をあちこちに貼ったことを覚えています。そのあとマスコミの人たちがたくさん来て、騒然とする中で選手が続々と到着しました。あとで知ったことですが、みんな前日の夜には合併のことは聞いていたみたいですね。練習前に社長が選手を集めて、あらためて合併を発表しましたが、特に若い選手は状況がよく飲み込めなかったと思います。当時21(歳)の僕ですら、理解できませんでしたから。
<後編につづく。文中敬称略>
(取材・文:宇都宮徹壱)
【了】