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Jリーグ 6年前

合併を知った実家からの電話。「オレも無職になるの?」不安に駆られた元横浜Fのホペイロ【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】

シリーズ:フリューゲルスの悲劇:20年目の真実 text by 宇都宮徹壱 photo by Getty Images,Tetsuichi Utsunomiya

「別次元の世界」だったワールドカップ

サンパイオ
横浜Fに所属していたサンパイオ【写真:Getty Images】

 洗濯には、けっこう時間がかかりました。ウチのユニフォームって、基本白じゃないですか。ですから毎日が芝の緑との戦いでしたね(笑)。練習後の洗濯に2時間くらい。それからボールや練習道具をきれいにして、もちろんスパイクの手入れもして。ひととおり仕事を終えるのは(夕方の)5時とか6時くらい。

 これが試合となると、自分で運転して用具を運んだりしていたんですが、今みたいにナビとかちゃんとしていなかったから苦労の連続でした。そんな時、バスのドライバーの山田(慎吾)さんが、ささっと手書きの地図を書いてくれて。現場でもいろいろ手伝ってもらったし、あの人には本当に助けられましたね。

 フランスでワールドカップがあった年(98年)は、フリューゲルスのホペイロになって2年目でした。開幕戦のブラジル対スコットランドは、室蘭でキャンプをやっていた時にホテルで見ていました。ウチから出場していたサンパイオが出場していて、しかも大会のファーストゴールを決めたときには、夜中なのに「うぉー! サンパイオ!」とか叫んでいましたね(笑)。

 身近で見ていたサンパイオは「手がかからない選手」という感じ。スパイクは僕が磨いていましたが、それ以外のことは基本的に自分でやっていました。それと、普通に日本語でコミュニケーションができていたのも、すごいなと思いましたね。

 あのフランス大会はサンパイオのほかにも、モトさんやナラ(楢崎正剛)さんも日本代表として出場していました。ですから、すごく思い出深い大会だったんですけど、自分にとっては目の前のフリューゲルスでの仕事がすべてで、ワールドカップなんてまったく別次元の世界でしたね。

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