“和算サッカー”から脱却し世界に勝つために
受験勉強で知識が身についているか確認する時、自分なりの一つの基準があった。それは「習ったことを他人にこと細かく説明して理解してもらえるか」。「〜の定理」と習っていても、その中身を自分の言葉で噛み砕いて、他人に説明することで初めて「身についた」となるわけである。
これはサッカーにおいても当てはまると考えている。海外から持ち込まれた新しい理論や手法を、日本語で誰もが理解できる形で広め、活用していけるかどうか。もちろん取捨選択も非常に重要になる。
外国人監督や、海外で学んだ指導者、ジャーナリストらによって、新しい概念や理論は次々に日本に持ち込まれる。それらは全てでないにしろ、日本サッカーを発展させるために必要なものばかりだ。では、どのように一般化して再現性を高めていくか。
日本サッカーはまだ江戸時代の「和算」「算術」の段階にすぎない。サッカーという「数学」をより発展させるためにも、学問的アプローチで新しいことをどんどん学び、それらを解釈し、「日本語化」して伝えていけるかが、4年後のカタールワールドカップで「ベスト8」の壁を破る鍵になるのではないだろうか。
ゴールをより多く奪った者が勝つスポーツだが「サッカーに正解はない」と、よく言われる。ゴールという1つの「解」こそあれど、そこまでの「解法」は自由。何をどう組み合わせても構わない。だからこそ1つのやり方、スタイルにこだわるのではなく、最先端のサッカーを学問として学び、理解し、解釈し、再現し、発展させて日本なりのバランスを見つけ、たくさんの選択肢を持った上で世界に挑まなければ、現在のヒエラルキーをぶち壊すことはできない。
(文:舩木渉)
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