マンUでの不遇、ドルトムント復帰も停滞感は拭えず
「ブラジルの時はどこかで密かに『ロシアがある』と。仮に負けたとしても、どこかでそういうところが出ていた。それをなくすためにも、今回は4年後のことは考えたくなかった。『これが自分にとって最後なんだ』という覚悟を持って取り組もうと思ったんです。4年後なんて誰にも分からないし、ましてや長谷部(誠)さんみたいに30歳を超えてヨーロッパで戦い続けられる選手なんて意外にいない。ケガが起こるかどうかも分からない。だからこそ、僕はこの大会に賭ける思いが強かった」
2018年ロシアワールドカップの全ての戦いを終えた後、香川真司は神妙な面持ちでこう語った。その悲壮な覚悟と決意が2度目のワールドカップでの躍動につながった。それは紛れもない事実だろう。
4年前の2014年ブラジルワールドカップで不振を極め、絶対的信頼を得ていたはずだったアルベルト・ザッケローニ監督(当時)から2戦目のギリシャ戦でスタメンから外されるという屈辱を味わってから4年。エースナンバー10をつける男の戦いは、苦悩と挫折の連続だった。
ブラジル大会の直後、マンチェスター・ユナイテッドから放出される形で古巣のボルシア・ドルトムントに復帰した彼は、恩師であるユルゲン・クロップ監督の下、再起を賭けて再出発を図った。が、一度陥った停滞感は思うように拭えず、2010~12年のような華々しい活躍とは程遠い状況を強いられた。クラブでの苦境が代表にも影響し、ハビエル・アギーレ監督率いる新生・日本代表でも焦燥感ばかりが先行する。
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