サッカー大好き。エムバペを形成する幼少期の経験
以前、元フランス代表のパトリス・エブラが英『BBC』の番組の中で「エムバペは中央よりもサイドでプレーした方がずっといい」と分析したのは、間違いではなかったのである。サイドにいて自分の前に大きなスペースがある状態からプレーできれば、エムバペはその爆発的なスピードを存分に生かすことができる。
真のワールドクラスへの階段を数段飛ばしでのぼるエムバペの向上心が尽きることはない。アルゼンチン戦でマン・オブ・ザ・マッチ(MOM=その試合で最も活躍した選手に贈られる賞)を獲得した後の記者会見では「僕はいつも言ってきたように、ワールドカップに全力を尽くす。自分に何ができて、自分の能力はこうだと見せる、ワールドカップ以上の機会はない」とモチベーションが口から溢れ出た。19歳という若さに似合わず、とにかくサッカーに対する思いが強い。
エムバペはパリ郊外のASボンディというクラブでサッカーを始めた。トップチームがフランス10部相当の地域リーグに所属する小さなクラブで14歳になるまで過ごした彼は、幼少期よりもずば抜けた才能を秘めていたという。当時の恩師アントニオ・リカルディ氏は英『BBC』に対して次のように語った。
「キリアンは常にサッカーのことを考え、常にサッカーのことを話し、見ていたよ。彼は自宅のリビングをサッカー場にしようとしていたんだ。ソファーやテーブルをゴールにしてね。いつも『僕のお母さんとお父さんには言わないで! ここで遊んではダメだから』と言っていて、私は秘密を守った。ラッキーだったのは彼が何も壊さなかったことだね」
卓越した技術とサッカーへの愛、自己犠牲を厭わない精神性、ベテランのような落ち着きは、幼少期の経験が元になっているようだ。14歳でモナコと契約する前には、フランスリーグの全クラブに加え、レアル・マドリーやチェルシー、マンチェスター・シティ、リバプール、バイエルン・ミュンヘンなどのビッグクラブも関心を寄せていたという。
エムバペにとって少年時代のアイドルだったポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドは、ウルグアイ代表に敗れて4度目のワールドカップを終えた。そして19歳の怪童は、自らの手でアルゼンチン代表が誇る大エース・メッシに引導を渡した。
フランス代表が世界の頂点に立った1998年のフランスワールドカップ以降に生まれ、まさに新世代を象徴するスーパースターの卵が、その殻を突き破り、世界の舞台で真のトップへと飛躍を遂げようとしている。
彼の姿を見た誰もが“Mbappe is from another planet”(エムバペは別の惑星から来た)と口にする日も近い。
(文:舩木渉)
【了】