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代表 6年前

コロンビア社会をも変えたハメスの輝き。甘いマスクの大エース、その知られざるルーツ【ロシアW杯】

text by 北澤豊雄 photo by Getty Images, Toyoo Kitazawa

ブラジルW杯で味わった悔しさ

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ハメスの友人、ディエゴ・ノレニャさん(2014年6月撮影)【写真:北澤豊雄】

 ハメスとチームメイトで、コロンビア1部リーグのデポルティーボ・パストの下部組織でプレーした友人のディエゴ・ノレニャさんも語る。

「ハメスは僕らのリーダーで、明るくて真面目な子でした。小柄だけど、年上の大柄な選手にも競り勝つテクニックがあった。サッカーのテクニックのことにいつも夢中になっていました。少年サッカークラブの大きな大会に《ポニー・フットボール大会》というのがあって、そこで得点王になったのが印象に残っています。突出した選手でした」

 この大会での活躍がきっかけとなり、国内の複数クラブからオファーが届いた。フレディ・グアリンらを輩出した中堅クラブのエンビガードFCと14歳のときにプロ契約を結んでいる。

「オーナーがハメスを気に入って、熱心に誘ってくれたんだよ。家と学校も探してくれてね。ここからハメスのプロ人生が始まった。エンビガードがハメスを発掘し、彼を新しい世界に送り出したんだ」(ジュルブライネル氏)

 その後、17歳でアルゼンチンに渡り、19歳でポルトガルの名門ポルトへ。3シーズンを過ごすなかで多くのタイトルを手にし、チャンピオンズリーグにも出場した。そうして迎えた2014年ブラジルワールドカップ。コロンビアはグループリーグで日本に快勝し、ラウンド16ではハメスの華麗なシュートで強豪ウルグアイを破った。甘いマスクと屈託のない笑顔も相まってハメスは大会の主役となっていく。

 だが準々決勝のブラジル戦。コロンビアの勢いを止めたいブラジルは執拗な接触プレーをはかり、ファウルの応酬が続く大接戦となった。結果、コロンビアはブラジルのプレースタイルに乗せられ、思うに任せず1-2で敗れた。ハメスは母国を史上初のベスト8に導き得点王に輝いたものの、人目をはばからず顔をくしゃくしゃにした。目を真っ赤にして子供のように泣いた。

「ピッチに涙を置いていくよ」

 そう言ってブラジルを去った姿を記憶に残しているサッカーファンは多いだろう。

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