スペイン代表の歴史に刻まれた地獄の日
ロペテギを近くで支えてきた人々にとって水曜日は辛いものになったが、最も感傷的な瞬間はバンが出発する直前の夕方5時にやってきた。ロペテギは近しい人々に、抱擁とともに別れを告げた。傍らには第2監督のパブロ・サンスや、フィジカルコーチのオスカル・ガロ、メンタル面のケアを担当し長い時間を共に過ごしたフアン・カルロス・アルバレス・カンピージョがいた。
そんな彼ら、スタッフ陣もロペテギの解任にともなって一新された。残ったのは分析チームとコーチとして帯同していたU-21代表監督のアルベルト・セラーデス、そしてアルバレス・カンピージョだけだ。第2監督のパブロ・サンスの後任にはイエロが昨季レアル・オビエドの指揮を執っていた際にも副官だったフリアン・カレロが就く。
フィジカルコーチのオスカル・ガロの後任は、U-21代表で同職を担っていたフアン・カルロス・ゴメス・ペルラードに。そして、イエロが務めていたスポーツディレクターは、2010年のワールドカップ優勝メンバーだったカルロス・マルチェナが引き継ぐ。彼はロッカールームの選手たちと連盟首脳陣を含めたスタッフ陣の橋渡し役だ。
今回の一件はスペイン代表の歴史に刻まれる。永遠に忘れられることのない出来事のひとつだ。年月が経過すればロペテギの退任は、1994年のアメリカ大会でマウロ・タソッティがルイス・エンリケに食らわせた肘打ちや、2002年韓国大会でのスキャンダルや、2010年南アフリカ大会でのイニエスタの決勝ゴールと同じように語り草となるだろう。ロシアワールドカップは、ロペテギ解任のスキャンダルが起こった大会として記憶される。
優勝候補であったチームは、サッカー界で時折生み出されるような奇跡に身を委ねなければならない状況となった。スペインがこのワールドカップで素晴らしい戦いを見せれば快挙だが、失敗に終わったとすれば、そのショックにロペテギの名前が永遠に結びつけられることになる。クラスノダールでこの日起こったことを、決して誰も忘れはしない。
(取材・文:ミゲル・アンヘル・ララ【マルカ】、協力:江間慎一郎)
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