父が母を…。心を支えたのはドルトムントの“家族”
12年には、プライベートでも重要な出来事があった。
父親が刑期を終えて出所すると、間もなく死亡した。
10歳の時。ブワシュチコフスキは見た。父親が母親を殺すところを。
母の死から2、3ヶ月の間、クーバ少年は、サッカーのトレーニングに向かうことができなかったという。将来プロサッカー選手になれるのか、苛まれた。しばらくして叔父に促され、とあるトーナメントに参加。最優秀選手に選ばれると、再びフットボールに向かう力を取り戻していった。
それから17年後、紆余曲折を経てプロになったクーバ少年を待っていたのは、父の死だった。
18年2月11日付の『11フロインデ』電子版のインタビューの中で、ブワシュチコフスキは、次のように述解している。
「その出来事の後で、僕は3日3晩ベッドに横たわった。麻痺したようだったよ。いつかある時、気が付いた。先に進まなければならない、ということにね」
大人になったクーバ少年は、誰かに促されなくとも、自分の力で立ち上がり、再び戦いに身を投じていった。当時「家族のようだった」ドルトムントが、精神的回復を促したのかもしれない。
クーバは振り返る。
「その頃BVBは家族のようだったーユルゲン(・クロップ)は父親だった。僕はBVBでスポーツ面で成長しただけでなく、そこで過ごした時間の中で人間的にも前進したんだ」
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