ドルトムントは第二の故郷。ファンにも愛される存在に
そして新たなポジションで頭角を現したピシュチェクは、同郷のヤコブ・ブワシュチコフスキと右サイドでコンビを組み、10/11、11/12シーズン、チームのブンデスリーガ2連覇に貢献。
その頃に見習うべき手本としたのは、ダニエウ・アウヴェスだったという。ピシュチェクは次のように語った。
「彼と僕のパフォーマンスはまだ遠くかけ離れている。アウヴェスは世界一のチーム(当時はFCバルセロナ)でプレーしている。いつか、そのようなクラブと競い合うことを望んでいるよ。だけど、まだ先は長いね」
ピシュチェクの言う「いつか」は、思ったよりも早くやってきた。12/13シーズン、ドルトムントはチャンピオンズリーグの決勝に進出。準決勝で撃破したのは、スペインでFCバルセロナと互角に「競い合う」レアル・マドリードだ。
それから監督はクロップからトーマス・トゥヘル、ピーター・ボシュ、さらにペーター・シュテーガーと代わったが、ピシュチェクは常にレギュラーを張った。不動の右サイドバックとして、良い時も悪い時も、チームを右側後方から支えた。
気付けば最年長者となった。まもなく33歳になるポーランド代表SBは、ルール地方の工業都市を第二の故郷のように感じているようだ。
「確かに私はドルトムント生まれではない。だが時間が経つにつれて、このクラブとファンが心の中で大きくなった。自分が真のボルシアの一員であると感じる程にね。1度もBVBを立ち去ろうと願ったことはない。私はキャリアをドルトムントで終えたいと思っている。そしてさらに多くの、本当に本当のエモーショナルな瞬間を心待ちにしているんだ」
8年の歳月を経て名サイドバックとなり、自分だけの幸せを手に入れた“ピシュチュ”。ヴァツケ社長が「ボルシア・ドルトムントそのもの」と形容するように、ファンの誰もが愛するクラブの“顔”となった。