依然として世界トップクラス
Jリーグが開幕した1993年には外国のビッグネームが数多くプレーしていた。横浜マリノスにやって来たラモン・ディアスは初年度の得点王になっている。
「テーピングもしないで練習を始めたのは驚いた」
当時の関係者はあまりにも無防備なディアスの態度に驚いたが、プレーは本物だった。ジェフユナイテッド市原(当時)にはピエール・リトバルスキ、名古屋グランパスエイト(当時)にはガリー・リネカー、鹿島アントラーズはジーコがいた。ただ、全員がディアスのように活躍したわけではなく、彼らのほとんどが第一線を退いた後に日本へ来ていたので、ヨーロッパからは「年金リーグ」と揶揄されていた。
アンドレス・イニエスタも第一線を退いて日本へ来る。といっても、バルセロナを退団したばかりで、スペイン代表としてロシアワールドカップにも出場する。ピークは過ぎているが、依然として世界トップレベルの選手としてJリーグに参戦することになる。
体も大きくないし足も速くない。それでもイニエスタが世界中から尊敬され、例外的な名手とされているのはなぜなのか。
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