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代表 6年前

日本にとって最悪な男、ジエリンスキ。危険度はトップ級、相手を切り裂くポーランドの脅威【W杯 日本を襲う猛獣たち】

シリーズ:W杯 日本を襲う猛獣たち text by 神尾光臣 photo by Getty Images

幅広いタスクを担える要因は?

 1994年5月20日、ポーランド南部のゾンプコビツェ・シロンスキエに生まれる。2007年よりザグウェンビェ・ルビンの下部組織に加入しトレーニングを積んでいたが、その才能は早くから注目を浴び、ポーランドの各年代別代表の常連となっていた。ポジションは攻撃的MFで、参考にしていたのはサミル・ナスリだったという。

 そんな彼が国際的な注目を浴びたのは2010年のこと。ポーランドU-17代表としてスペインはラ・マンガの国際トーナメントに出場し、そこでのプレーが、若い外国人選手の発掘に余念がなかったウディネーゼのスカウトの目に留まった。

 ボールコントロールが巧みで、両足で遜色なく蹴ることができて、しかも視野も広い。ウディネーゼのスカウト陣はすぐに代理人へ接触し、話をつけた。

 そして2011年の7月に、ジエリンスキはウディネーゼに移籍する。この時、ザグウェンビェ・ルビンに支払われた移籍金は10万ユーロと、17歳の選手に付けられた評価額としてはかなり高めの額だった。

 彼はそのまま、ウディネーゼのユースチームに加入。1年間を言語の習得やイタリア社会への順応に使わせ、2012年12月2日のカリアリ戦でトップチームでのデビューを果たした。その後、シーズンでは9試合に出場、そして翌シーズンも公式戦11試合に出場を果たした。

 そして14年夏、ジエリンスキは経験を積むため、セリエAに昇格したエンポリへレンタルで武者修行に出される。そこでサッリ監督と邂逅を果たすわけだが、当初彼は希望の選手ではなかったという。

 サッリの希望は4-3-1-2のインサイドMFができる選手を希望していたが、ジエリンスキはトレクアルティスタ(トップ下)。彼を一列下のポジションで使うべく、華美な個人技に走らず実効性のあるプレーをするように指導をした。

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