運命を変えたサッリ監督との出会い
国籍はセネガルだが、出生地はフランス。ドイツとの国境近くにあるサン・ディエ・デ・ボージュの移民外国人が多い区域に生まれ育った彼は、同じ街のクラブで技を磨く。勉強も良くできたため学業を優先した時期もあったようだが、才能のあった彼は再び競技へと取り組む。
そして2009年、当時国内5部を戦っていたサン・ディエ・デ・ボージュでの活躍が認められ、メスの下部組織へと移る。そしてその翌年にはトップチームにも引き上げられた。
2年目にはトップチームでも主力となり、キャプテンマークを巻くこともあった。なおこのときメスには、のちに2人は代表でもチームメイトとなるサディオ・マネがいた。
そしてクリバリは、2011年にベルギーリーグのゲンクへと移籍。早速1年目で主力となり、自身初のタイトルとなるベルギーカップ優勝を果たした。そして2年目ではUEFAヨーロッパリーグでも活躍し、ついにその名声はヨーロッパ中に広がった。
マンチェスター・ユナイテッドやモナコなどが声を掛ける中、最終的にはラファエル・ベニテス監督が直接口説きに懸かったナポリへ移籍することになった。
ただベニテス監督に請われてナポリに行った一年目は、期待通りの活躍をしているとは言い難かった。身体能力の高さは見せていたが、ミスも多く、シーズン後半戦からはベンチに回されることが多くなった。
特にイタリアでの評判を大きく下げたのが、2015年5月のエンポリ戦。クリバリは4失点中なんと3点に絡み、ナポリは敗れた。数年後にエンポリのファブリツィオ・コルシ会長は、現在のような選手になったクリバリを高く評価した上で「あの時のクリバリはお笑いだった」という述懐を地元ラジオのインタビューに語っている。
しかし運命とは不思議なもので、クリバリを大きく成長させることになるのは、その試合でエンポリを指揮していた監督だったのだ。ベニテスが退団し、後任としてやってきたのは誰あろうマウリツィオ・サッリ。2015夏のプレシーズン合宿でクリバリを見て、戦力になると判断した彼は周囲にも、そして本人にも「あと3つほど動き方を覚えれば、バルセロナにも呼ばれるくらいの強力なDFになる」と語った。