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日本代表 6年前

日本代表、3バックとともに歩んだ歴史。5年ぶり復活…西野流は完成するのか

text by 元川悦子 photo by Getty Images

日本代表のW杯出場と3バックの歴史

 しかしながら、対戦相手であるコロンビア、セネガル、ポーランドはいずれも格上。コロンビアのフアン・クアドラード(ユベントス)、セネガルのサディオ・マネ(リバプール)、ポーランドのヤクブ・ブワシュチコフスキ(ヴォルフスブルク)という迫力あるアタッカーの揃う長友側の左サイドはより攻め込まれるリスクが高くなる。

 長友と槙野が守備に忙殺され、チーム全体が5バック気味になってしまう形も大いに想定されるところ。そういう劣勢に立たされた時にどう相手を跳ね返すかも含め、ここから細部の詰めを急ピッチで行っていくしかない。

 1998年フランスワールドカップ以降の日本代表を改めて振り返ると、3バックに取り組んだチームは少なくなかった。フランス大会の岡田武史監督(現FC今治代表)率いるチームは今回同様、直前合宿で3バックへシフト。本番ではアルゼンチン、クロアチア相手に奮闘したが、3戦続けて無失点に抑えることができず、ベスト16入りの夢は幻となった。

 続く2002年日韓ワールドカップでは「フラット3」と言われる最終ラインの上げ下げを重視した3バックで挑んだ。フィリップ・トルシエ監督は高いライン設定をDF陣に求めたが、選手たちがいい意味でそれを無視し、2戦目のロシア戦(横浜)からラインを下げて戦ったことで、史上初のグループリーグ突破を果たしている。

 2006年ドイツワールドカップを率いたジーコ監督は3バックと4バックの併用型。本大会では結果が出なかったものの、2004年のアジアカップ(中国)制覇や2005年のコンフェデレーションズカップ(ドイツ)での善戦など成果は多少なりとも見られた。

 イビチャ・オシム監督も3バックと4バックの併用型。ただ、相手の出方に合わせて基本布陣を柔軟に変える戦い方はジーコ時代とは全く別物だった。

 その後を引き継いだ第2次・岡田ジャパンはベースを4バックに戻したが、2010年南アフリカワールドカップのアンカーを置いた4-3-3は、阿部勇樹(浦和)がフォアリベロ(前にいるリベロ)的な役割を果たしていたため、変則的な3バックと見ることもできた。

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