崩壊への入口となったドイツ戦の善戦
田中誠以外にも、ドイツ戦で加地亮、高原、柳沢敦(鹿島コーチ)の3人が負傷。加地に至ってはメンバー入れ替え期限ギリギリまで本大会に間に合うのかどうか分からない重傷だった。
「ドクターからゴーサインが出た時、心から安堵した。でも試合に出られるのは2戦目のクロアチア戦(ニュルンベルク)からだと診断された」と加地も話していたが、もしも本当に彼にNGが出されたら、一体誰とメンバー変更していたのか。ジーコジャパンはこうした体制作りが十分に行われていなかった。
大会直前のもう1つの失敗は、ドイツ戦にピークが行ってしまったことだ。5月末のドイツは気温8〜10度と真冬のような寒さで、会場のレバークーゼン・バイアレーナでもスタンドに設置されている電熱線の暖房が使われたほどだった。
初夏のような暑さの日本から来た選手たちにしてみれば、肌寒い環境の方が動きやすい。実際、ドイツ戦の日本は最高のパフォーマンスを見せ、後半立ち上がりに高原が立て続けに2ゴールをゲット。優勝候補の一角に挙げられたワールドカップ開催国を2-0でリードするという予想外の展開に持ち込んだ。
最終的にクローゼとシュバインシュタイガーに得点を許し、2-2のドローに持ち込まれたものの、「本大会でも十分イケる」という過信が生まれてしまったのだ。
大国との善戦で1つの達成感を得たのか、そこからの日本代表は初戦・オーストラリア戦(カイザースラウテルン)まで散漫なムードのまま時間を費やした。
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