田中誠の負傷もバックアップ体制不足で後手に
危機感を覚えたキャプテンの宮本は「非公開練習日を設けてほしいし、メディア対応も毎日する必要はないのではないか」とジーコに訴えたというが、聞く耳を持ってもらえなかったという。
指揮官はブラジル代表と同じやり方を踏襲していたのだろうが、日本の選手は王国のトップ選手ほど「自由」に慣れていなかった。自由というのは「セルフコントロール」「自己判断力」が求められるということ。それが完璧にできるほど、当時の面々は成熟していなかったのだ。
第2次合宿を入れずに、Jヴィレッジからいきなりベースキャンプ地のドイツ・ボン入りしたこともマイナスに作用した。5月末にドイツ代表とレバークーゼンで親善試合が組まれていたため、ドイツに早く入りそのまま調整するのは効率的ではあったのだが、選手たちは毎日同じ環境の中、メリハリのない日々を過ごすことになった。
「別の場所で事前キャンプを張っていたら選手のコンディションはよりよくなっていたはずだし、チームの雰囲気ももっとフレッシュだったと思う」と宮本も後に述懐していた。
ただ、この反省を踏まえて日本サッカー協会は、2010年以降はベースキャンプ地に入る前に別の場所での合宿を入れるべく改善に踏み切っている。この時の失敗は痛かったが、それを生かしたこと自体は前向きなことだと言っていい。
ボンに入ってからのジーコジャパンはアクシデント続きだった。田中誠(磐田コーチ)が負傷離脱しなければならなくなり、茂庭輝幸(C大阪)の追加招集に踏み切ったが、彼はハワイでオフの真っ最中。アロハ姿でドイツの空港に到着したことは多くの人々の記憶に残っていることだろう。
「ドイツに入ってからは体が動かなくて、走りを徹底的に課せられた」と本人も言っていたが、これはバックアップ体制不足の表れ。ケガ人が出ることを想定して、すぐにメンバー変更できる状態を整えておく必要があったはずだ。