3カテゴリー指揮で浸透させた「フラット3」
98年フランスワールドカップ3戦全敗と世界との力の差を痛感させられた日本。後を引き継いだのは、ご存じの通り、フランス人のフィリップ・トルシエ監督だった。
98年10月のエジプト戦(大阪・長居)から指揮を執り始めたトルシエは2000年シドニー五輪代表を目指すU−21代表監督を兼務。さらに99年1月からはワールドユース(ナイジェリア)に挑むU−20代表指揮官にも就任した。
3カテゴリーの代表を1人の監督が見るというのは、異例中の異例。それでも当時のU−20世代には小野伸二や稲本潤一(ともに現・札幌)、高原直泰(沖縄SV代表)、中田浩二(鹿島CRO)といった逸材が揃っていたから、彼らを土台にしつつチームを構築していけるという大きなメリットがあった。
そうやって2000年シドニー五輪、2000年アジアカップ(レバノン)と着実に強化を図り、オートマティズムのある集団を作り上げたことで、トルシエは自信を持って本大会を迎えることができたはずだ。
2002年に入ってからは1月の指宿合宿を経て、3月のウクライナ戦(大阪・長居)、ポーランド戦(ウッジ)で2連勝を飾るなど、悪くないワールドカップイヤーの入りを見せた。
「フラット3」の重要な担い手の1人である森岡隆三(鳥取監督)が長期離脱中でこの2試合には出ていないが、宮本恒靖(G大阪U−23監督)、松田直樹、中田浩二という3人の連係は完成度が高かった。
ポーランド戦では彼ら守備陣が確実に相手を封じ、中田英寿と高原がゴールを挙げて2-0で圧勝。ワールドカップ出場国を敵地で倒したことでチームに大きな弾みがついた。