チームに大きな禍根を残した「カズ落選」
中国や韓国に敗れるなど、確固たる手ごたえを得られなかったこともあって、指揮官は5月中旬にスタートした静岡・御殿場での1次合宿から3バック採用に踏み切る。
当時は、今ほど非公開練習は多くなかったが、指揮官は非公開のたびにラインの位置や3枚の距離感や連係、相手をつかまえる場所などを徹底的に確認。壮行試合と位置付けられたパラグアイとチェコとのキリンカップに挑んだ。
パラグアイ戦は井原正巳(福岡監督)がリベロ、小村徳男と秋田豊(ともに解説者)がストッパーを務めて1-1のドロー。続くチェコ戦も井原のリベロ、中西永輔(JFAアンバサダー)と斎藤俊秀(U−16日本代表コーチ)がストッパーに入り、0-0の引き分けに持ち込んだ。
格上相手の2連戦で大崩れしなかった守備を見て、岡田監督は新布陣への自信を深め、5月27日に直前合宿地のスイス・ニヨンへと赴いた。
そこで発生した一大アクシデントが「カズ、外れるのは三浦カズ(知良=横浜FC)」で知られるカズ落選だ。
6月2日の最終メンバー22人登録締め切りを前にチームはただならぬ緊張感に包まれていた。日本のゴールデンタイムの20時に合わせ、現地時間13時から行われた青空会見に集まったメディアは200人超。物々しい雰囲気の中、カズ、北澤豪(日本サッカー協会理事)、市川の落選が伝えられると、報道陣は一目散にカズの行方を追跡。結局はイタリア・ミラノで見つかったが、カズが去ったことは代表チームに大きな禍根を残すことになった。
選手たちの動揺も収まらず、同日夕方の練習で井原が負傷。翌3日のユーゴスラビア戦(ローザンヌ)はおろか、14日の初戦・アルゼンチン戦(トゥールーズ)にも間に合わない恐れが出てきた。
攻守の要不在で果たして日本はどう戦うのか…。そんな危惧が一気に高まった。