ポンテも猛反論。日本代表選外は適正な評価だったのか
しかし、西野監督からの評価は「彼はポリバレントでは、1年間なかった」。ハリルホジッチ監督が得点力のあるジョーカー的な存在として活躍を期待して抜てきしたにもかかわらず、実際に結果を残している点に関して新指揮官はそれほど高く評価しているわけではないようだった。
ガーナ戦に向けた日本代表メンバーが発表される2日前、中島はメディアの取材に応じて「今年1年ポルトガルでプレーして、すごく楽しかったですし、成長もできたと思います。すごくいいチームで1年間プレーできてとてもよかった」と振り返ると同時に、「選ばれたら本当に日本のためにプレーしたい」と日本代表への思いも語っていた。サッカーの話をする23歳の“少年”の目は、キラキラと輝いていた。
中島が始めてワールドカップを意識したのは、小学2年生だった2002年の日韓ワールドカップだった。横浜で行われたアイルランド対サウジアラビアをスタジアムで観戦した中村は、試合内容こそあまり覚えていないというが、「日韓ワールドカップのときはすごく盛り上がっていましたし、そういう中で選手としてプレーするというのは一つの夢だった」と話す。
だからこそ、初めてその大舞台に立つチャンスでもあったロシアワールドカップは中島にとって「自分にとってもそうだし、周りの人たちにとってもすごく大事な大会」だったのである。
もちろん中島の落選はポルトガルでも驚きをもって伝えられた。『Maisfutebol』は「中島翔哉の不在は大きなニュースだ」と伝え、『zerozero』も「才能にもはや疑いの余地はなく、すでにビッグクラブから注目を集める選手」として、予想外の落選を報じた。
中島をポルトガルに熱心に誘って移籍を後押ししたポルティモネンセのポンテTD(テクニカルディレクター)も自身のフェイスブックを更新して「中島が(日本代表から)外れたのは全くもって理解できない。西野監督は大きなミスを犯した。私は35年間サッカーの世界にいるが…あのコメントは信じられない」と憤りをあらわにした。
かつて浦和レッズでもプレーしたポンテ氏が指摘した「あのコメント」とは「中島はポリバレントではない」という部分。それに対して「彼は今季、4つの違うポジションでプレーしていた。リーグのアシストランキングでも4位で、10ゴール12アシスト。リーグのベストイレブンだ」と反論する。
さらに「クラブにはパリ・サンジェルマン、ポルト、ベンフィカ、スポルティングCP、シャフタール・ドネツク、ドルトムントという6つのビッグクラブから公式オファーが来ている。さらに10以上のクラブが彼に関心を示している」と明かし、「ミスター・ニシノは中島のパフォーマンスと価値を本当に理解しているのか? 不正を働いたのではないか?」と西野監督の決断に疑問を呈した。