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代表 7年前

バス運転手からW杯戦士へ。コロンビアの遅咲きFW、バッカ。日本DF陣を陥れる武器とは?【W杯 日本を襲う猛獣たち】

シリーズ:W杯 日本を襲う猛獣たち text by 神尾光臣 photo by Getty Images

活躍の舞台を欧州へ

カルロス・バッカ
セビージャ成功を収めたバッカはミランへ移籍。しかし、イタリアの名門では不振に陥った【写真:Getty Images】

 コロンビアで成功をおさめたバッカは、2012年の1月からヨーロッパに活躍の場を移した。1年半プレーしたクラブ・ブルッヘでは公式戦54試合31ゴール。2012-13シーズンでは25得点を挙げリーグ得点王となり、またELでも素晴らしい活躍をしたことから、モンチSD(当時)を始めとするセビージャの強化部門の目に留まった。そして2013年、彼らはバッカを引き抜いた。

 当時のウナイ・エメリ監督からは守備への参加と、低い位置からスタートしスペースを突くための動き方を叩き込まれる。その結果バッカは、組織戦術が重要視されるヨーロッパのトップレベルのサッカーにも適応を果たした。

 裏のスペースに抜けたり、あるいは味方とともにパス交換で崩したり、様々な形でエリアに侵入。所属した2シーズンはELで通算14ゴールを挙げ、2度のEL制覇に成功したことがこれを物語っている。

 こうして国際的な実績まで積み上げたバッカは2015年、3000万ユーロの移籍金でミランに移籍する。もっともミランでは批判されることも多かった。開幕後、7戦で2ゴールとやや低調な成績にファンやメディアは不満の声を挙げた。移籍直後に加え、チームの戦術が定まらないというエクスキューズはある。ただ久々の大型補強に期待感を膨らませただけに、バッカがシュートを外すと彼らは失望をあらわにした。

 最終的には調子を上げ、チームとも噛み合って18ゴールを挙げる。だが翌シーズンは失速し、ジャンルカ・ラパドゥーラにポジションも奪われかけた。

 ヴィンチェンツォ・モンテッラ監督はバッカを容赦無く途中交代させる。その度に「なんでいつも自分ばかりなんだ」とぼやいたシーンが、地元TV局の読唇術で抜かれていた。

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