山田が示した「原点」。ポジティブ思考で奮闘
本職のセントラルMFとして勝負したい気持ちもあったが、「自分のやれるポジションが増えた」とポジティブに考えて、今ではサイドバックを楽しんでいる。それは高校2年生でトップチームの練習に帯同してプロの道を意識するようになった頃や、2種登録選手として公式戦に出場した昨年とはまた違った感覚だ。
「(今年は)監督も代わって、若手という位置づけられて練習(紅白戦)に入れない時もあって正直悔しかった。でも少しずつ(紅白戦に)入れるようになったり、練習試合でも出られる時間が増えてきたり、少しずつ見てもらえている実感があるし、入れた時にはがむしゃらにハングリーにやろうと毎日思いながらやれているので、楽しいですね」
そして迎えた鹿島戦。Jリーグで唯一開幕初年度から四半世紀にわたって続いている伝統の一戦で、山田は先発の右サイドバックに抜てきされた。直近のリーグ戦2試合でもベンチ入りはしていたが出番はなく、ようやく回ってきたチャンスだった。
隣でプレーしていたDF中澤佑二は、「康太には康太の良さがある。彼は今日の試合でまたいろいろなことを勉強したと思う。それをまた次の試合に生かしてもらえれば。彼自身も声を出して頑張っていた」と、親子ほども年の離れた山田の奮闘を称える。
山田はルヴァンカップのFC東京戦で相手の股を抜きながらサイドを突破するなど、技巧的なプレーで攻撃面の特徴を押し出せていたが、鹿島戦ではこれまでのようにはいかず。相手の圧力もあって攻撃参加の回数を減らさざるをえず、守備対応に追われた。
それでも18歳のルーキーは、粘り強く戦って完封勝利に大きく貢献した。本人も「リスク管理というか、守備に重きを置いてやった90分」と振り返っていたが、チームが勝利に見放されている中で、これこそが鹿島戦で求められていたプレーだった。
中澤は「マリノスが強かった時の原点」として、「チームが勝つためにみんなが考えてプレー」することを挙げた。鹿島戦であれば、失点がかさんでいる時に守備で意識すべきこと、これを変えただけでチームは逞しくなった。その一翼を担ったのが山田だった。