生贄になった選手たち。なぜプロとして取り繕うことすらしないのか
記者会見とはオフィシャルな場だ。多くのメディアが集まり、発言は公式見解とされる。その発言がどのような受け取られ方をするか、今後どのような影響が考えられるか考えなくてはならない。
田嶋会長は「選手」と言ってしまった。これでは「造反した選手がいるのではないか」という邪推が生まれてしまう。実際、SNS上では「一体どの選手が…」と疑心暗鬼になっているファンもいる。いわゆる「犯人探し」だ。
ハリルホジッチ氏は逆だった。それが真実かどうかはともかく、選手と問題がないことをことさらに強調した。これは批判の矛先が選手に向かないようにするためだ。ハリルホジッチ氏はこれまでも、良くない試合内容だったときには必ず「責任は私にある」「私を批判してくれ」と言って選手を守っていた。
今後何が考えられるのか。ハリルホジッチ氏が「フォロー」したことで、JFAへの批判へと多少は方向性が変わるだろう。だが、選手がこの騒動に巻き込まれることは避けられない。これからロシアワールドカップに向かう大事な時期に、本大会とは関係ない事案を追及される。
「ワールドカップで勝つ可能性を上げるために」と田嶋会長は語った。だったらなぜ、もっと「適切な理由」を掲げなかったのか。ハリルホジッチ氏も選手との関係性に問題があることをまったく認識していなかったわけではない。彼にとっては良くある摩擦で「解決できる問題」だったのだ。だから、JFA批判に終始し、選手たちがワールドカップを戦う上で無用な混乱になることを避けようとしたのだ。
そももそ、そのような不明瞭な理由で解任することは適切ではない。解任するのであれば適切な理由付けが必要であることは言うまでもないが、それがないのであれば、せめて取り繕うことはできなかったのか。メディアと対峙するプロフェッショナルな姿勢で、両者には大きなレベル差があった。
選手たちはワールドカップという大事な大会を前に、余計な雑音が入り、集中力が乱される。このような状態が正しいわけがないのにそうなってしまった。そう、田嶋会長は選手たちを生贄にしたのである。気に入らない外国人監督をクビにするのを正当化するために。
(取材・文:植田路生)
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