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Jリーグ 7年前

札幌FW都倉賢、北の大地で描く成長曲線。ミシャとの出会いで起きたパラダイムシフト

text by 藤江直人 photo by Getty Images

海外挑戦は叶わず。札幌加入がキャリアの分岐点に

都倉賢
ヴィッセル神戸時代はJ1の壁に阻まれた。海外挑戦も叶わなかった都倉賢は北に新天地を求めることになる【写真:Getty Images】

 DF長友佑都(ガラタサライ)、FW岡崎慎司(レスター・シティ)、そしてMF本田圭佑(パチューカ)らと同じ1986年に都倉は生まれた。同世代のトップランナーたちがヨーロッパで、そして日の丸を背負ってワールドカップの檜舞台で眩い輝きを放っていた。

 自分自身にも可能性があると信じて疑わなかったものの、恵まれた体に宿る潜在能力を解き放つことができずにもがき苦しんできた。心機一転、当時デンマーク1部のFCヴェストシェラン(破産により2015年11月に解散)のトライアウトを受けたときの思いや身の振り方を、こんな言葉で表現したことがある。

「当然ですけど車は売りましたし、もちろん家具なども日本に残しておく必要もありませんでした。トライアウトでは言葉も全く通じないなかで毎日が本当に刺激的だったし、当たり前のことが当たり前にできないことは、実はリアルに生きていることの証だと常に感じていました」

 サッカー以外の人生を振り返れば裕福な家庭に生まれ育ち、幼稚舎から大学まで慶應義塾の一員として歩んできた(大学は入学と同時に休学)。都倉をして「客観的に見れば、両親がある程度敷いてくれた」と言わしめるレールからあえて飛び出していくことが、自分を変えるためにも必要だと痛感していた。

 代理人には「Jクラブからのオファーはすべて断ってほしい」と告げ、退路を断って日本を発った。しかし、トライアウトは不合格。無念の思いを抱いて帰国した成田空港の到着ロビーに、都倉の獲得を唯一あきらめ切れず、代理人に連絡を入れ続けたコンサドーレの三上大勝GMが待っていた。

 すでにJ2を戦う2014シーズンが開幕していたなかで、三上GMがぶつけてきた情熱に打たれて移籍を決めた。もっとも、当時の偽らざる本音を明かせば「能動的ではなく、受動的でした」となる。

「コンサドーレにしか行くところがない、J2リーガーというか。コンサドーレのことも最初は北国にある、ただのJ2クラブという認識しか持ち合わせていませんでした」

 しかし、J2でプレーし始めて間もないうちに、コンサドーレに対して漠然と抱いていた思いが間違いだったと気がついた。J2ながら1万人を超えるホームの平均観客動員数。地元のメディアにおける選手たちの露出度の高さ。道民からの期待の大きさ。取り巻く全ての状況が、都倉のなかの価値観を覆した。

「ポテンシャルというか成長できる余地が、これほどあるクラブも他にないんじゃないかと。投資の規模に見合ったクラブになっていないと感じましたし、やるからには北海道のスターになろうと」

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