優れたモチベーター
2002年にヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)を制してから数年、鹿島アントラーズはタイトルから見放されていた。第一次トニーニョ・セレーゾ政権が2005年に終わり、翌年から引き継いだパウロ・アウトゥオリ体制も1年で幕を閉じた。
そして、オズワルド・オリヴェイラがやって来た。開幕5戦勝ちなしと出遅れたが、終盤にかけて猛烈な追い上げを見せる。残り5試合の時点で首位・浦和レッズとの勝ち点差は「10」あった。だが、鹿島は怒とうの9連勝を達成。浦和は最終節で横浜FCに敗れ、最後の最後で順位が逆転し、鹿島が奇跡を起こしたのだった。
初年度のリーグ制覇はあまりに劇的だったが、ここから鹿島は常勝軍団の力を誇示することになる。2008年、2009年もリーグ優勝を果たすのだ。連敗を喫することもあるなど、数字上は圧倒的に強かったわけではない。しかし、勝負所の強さは尋常ではない。大一番で輝き、最後に笑うのは鹿島だった。
1993年に開幕したJリーグにおいて、J1で3連覇を成し遂げたのはオリヴェイラ監督時代の鹿島だけである。
またオリヴェイラ監督が鹿島を率いた5年間で、チームは毎年、国内タイトルを一つは獲得している。選手のクオリティも高く、伝統的に勝負強さが際立つチームではある。主力が年齢的な成熟期に入ったことも大きかったかもしれない。とはいえ、個性的な面々を強固な集団として束ねたのはこのブラジル人指揮官だろう。
選手の家族にビデオレターを依頼し、試合前に流すことでイレブンの気持ちを一気に上げるなど、オリヴェイラ監督は優れたモチベーターでもあったという。そうした点も踏まえ、彼の手腕は「オズの魔法使い」と形容された。