解任理由に正当性はあるか?
日本代表キャプテンの長谷部誠【写真:Getty Images】
コミュニケーションとは積み重ねである。人と人との関係性なので、当然差が出てくる。ハリルホジッチ監督と選手全員に溝があったわけではない。3月の欧州遠征では、一部の選手から戦術について疑問の声が出たが、長谷部誠や川島永嗣らは「外部(メディア)に話すのではなくチーム内で解決すること」と語っている。選手たちの間でもコミュニケーションは解決すべき課題として認識されていたのである。
つまり、監督と選手の信頼関係は十分ではなかったが、それは双方の問題であり、双方の解決すべき課題だったのである。そしてまた、そのような事態に陥ることはハリルホジッチのパーソナリティからすると最初から容易に想像でき、だからこそ田嶋会長が「選手との」と繰り返したことに違和感を覚えるのである。
選手は常に不満を抱えているものだ。1人ひとりサッカー観も違う。出場機会が減ればイライラし、攻撃的なスタイルを好む選手は多い。そのバラバラなチームを束ねるのが監督であり、方向性を決断するのが監督である。選手がある程度我慢するのは、ある種当然である。
これからどんどんとハリルホジッチ監督と選手との不和のエピソードがメディアを通じて発信されるだろう。そのほとんどは選手がネタ元となっている一方通行になっているのではないか。単なる選手のワガママを超えるものはどれだけあるだろうか。
ハリルホジッチを招聘した時点で、何かしらの衝突は予期できた。にもかかわらず、解任理由が「選手との信頼関係」では正当性に欠ける。選手との溝は常にあり、今更感は拭えない。田嶋会長の記者会見でのコメントには裏があるものと願いたい。額面通りなら、組織の意思決定としてはあまりにお粗末だ。
選手と監督には溝があった。だが、それはどれほど重要だろうか。特にハリルホジッチのような監督の場合。
(取材・文:植田路生)
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